曲がり角の向こう

カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD) 公共政策大学院の日々

日本、戦後補償、日韓関係

こんにちは。卒業まで残すところ1か月を切りました。そして今絶賛期末レポートに取り組んでいます。今学期の一つに「朝鮮半島の安全保障」という授業を取っています。教授は朝鮮問題に権威あるStephan Haggard教授。同時間に被った、Corporate Financeと一瞬迷いましたが、社会に出たら韓国、北朝鮮問題をじっくりと時間をかけて考えることはもうないだろうと思い、履修することに。

冷戦後の停戦条約から、光州事件、金大中の太陽政策、クリントンからブッシュへの政権移行でどう政策が移行したのかなどについて学んでいます。前半の授業を受けて感じたのが、日本は戦後アメリカの傘の元で、アメリカの輸出政策支援もあり、経済復興に集中できたけど、韓国は本当に混乱の歴史を歩んできたのだということ。現在揉めている1965年の日韓条約についても、そうした混乱の中での条約であったことは留意する必要があると思います。

そして先々週の授業は、少し打って変わって日韓歴史問題にフォーカスされた授業で、50人ほどいるクラスメートの内、日本人が私だけだったので、結構針のむしろ状態でしたが、韓国側の声を聞けるのは本当にありがたいと思います。総じて日本政府は信用できない、というのが圧倒的。謝罪はしているが、心から謝罪していたら、2015年の慰安婦共同宣言のような「最終的、不可逆的な」問題解決という言葉は使わない、という意見が出ました。そして知りませんでしたが、日韓の慰安婦共同宣言が出た後に、韓国の若い女学生の間で慰安婦像のミニチュアが販売されたとのこと。ちなみに私の友人は持っていて、今は韓国中に慰安婦像が建っているとのこと。

そして私は今、なぜ2015年の慰安婦共同宣言が履行されなかったのか?ということを書いています。なかなか難しいテーマを自分でも選んでしまったなと思いますが、韓国人の友達に韓国側の意見も聞きつつ形にしたいと思います。先ほどその友達から、慰安婦問題について良いビデオがあるからと教えてもらったので下記に載せます。私はとても素晴らしいビデオだと思いますが、見たくない人は見ないでください。

このビデオを見ながら思うのが、私たち日本人は、慰安婦という言葉を知識としては知っている。でも、慰安婦がどういう人たちで、どういうことがあり、彼らが戦後どのような境遇に置かれたのか?(地元から差別的な扱いを受け、結婚はおろか社会生活も難しかった)ということをほとんど知らないという事実です。

私はNGOで働き出したときに、「よし戦争について話をしよう。戦争の本質について話をしようじゃないか」という米映画監督のオリバーストーンの本を読んで以来、少なくとも私の中での日本の戦争観に、圧倒的に「加害者」としての視点が欠けていることに気が付きました。それは何故かと自分なりにも考えてみたのですが、日本の戦争観の複雑さに、加害者として戦争を初め(パールハーバーの爆撃、アジア諸国の侵略)、ヒロシマ、ナガサキの原爆があり被害者として終わったという点が大きいと思います。一方でドイツは戦争を初めから終わりまで一貫して加害者として関わっている。だから日本人が戦争と聞くと、ヒロシマ、ナガサキの原爆がまず真っ先に浮かび上がってきて、日韓併合とか日中戦争などのワードが浮かび上がってくるのは少数ではないかと想像します。でもアジアの人々から見た時に、日本はれっきとした加害者なのであり、やはり被害者と加害者の、決して共有できないものがあるということを改めて認識する必要があるのだと思います。でも、だからこそ被害者の声を聞く努力をすることで、少しづつ信頼が生まれてくるのではないかと思います。簡単なことに聞こえますが、まだまだ長い道のりのように思います。

慰安婦問題のビデオ

https://www.youtube.com/watch?v=0CmWdrlv3fI

ナムルの家(慰安婦の人々が暮らす施設)

http://www.nanum.org/jap/main/index.php

f:id:magarikadonomukou:20190521154110j:plain