曲がり角の向こう

カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD) 公共政策大学院の日々

誰のための仕事?

誰のための仕事?もし今これを読んでいる方がいるとしたら、どう答えますか?

私が3年半で民間企業の商品企画を去った理由は、この質問に答えられなくなったから。というかこの質問に答えようとすればするほど苦しくなった。当時は、担当していた事業規模は約10億円で、毎月のように新機種の商品企画決裁会議の準備をしていた。

でもある時、やっと苦しみに苦しみ抜いて市場に商品を出せた喜びも束の間、次の日には新しい商品担当としてアサインされていて、しかも開発日程はすでに遅れている、みたいな状況だった。

まるで籠の中を走り続けるハムスターのように、常に走り続けている、そんな日々。気づけば自分の中から出てくるアイディアも枯渇し、ある日来年の商品会議に向けたブレスト会議に出ても、一言も発言できない自分に気づいた。それと同時に、一体私の仕事の先にいる人は誰なのか?果たして私の仕事はその人たちの役に少しでも立っているんだろうか?とふと思った。でも、全く持って分からなかった。ちょうど5年前。

その後退職して日本を旅していた私は、国境なき医師団で働く友人との出会いも影響して、国際協力の道を選んだ。そして、私の仕事の先にいる人と一番近い場所で仕事をしようと思ってNGOを選んだ。最後の2年に私が駐在したスリランカのトリンコマレでは、26年続いた内戦後の復興支援の一環として、農業・酪農業の組合が加工品を作って彼らが自立して生活できるようプロジェクトのマネージメントをしていた。例えば夏場は牛乳が腐ったなど、日々問題は起こっていたが、毎日が本当に真剣勝負で、組合の人たちともよく議論していたと思う。どんなに仕事が降ってこようが、上司との関係が悪化しようが、私は私の仕事の先に私のいる人の顔がいつも見えていたから、頑張れた。

そして今、私はマニラの中心の高層ビルでガンガン冷房が入った事務所にいて、周りのスタッフ達は自分たちの仕事の先にいる人のことを話しているようには見えない。あくまでも自分たちの仕事をしているのに終始しているように見える。

私のインターンが終わる前に、是非私の上司に聞いてみたい。あなたの仕事のモチベーションは何ですか?と。私は日本の組織で7年近く働いて、日本の組織の弱点を少しは分かっているし、だからこそ大学院卒業後は日系以外の組織で働いて、そこで学んだことを10年後には日本に持って帰ってきたいと思っている。だから、今はアメリカの組織のプログラムデザインの考え方やテクニカルな部分を学んでいると割り切れれば良いんだけど、なかなかうまく割り切れない自分を発見している。そんなインターン折り返し地点の所感。

マカティのショッピングモールの壁の向こう。どんな人がどんな風に生きているのか気になる。

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