曲がり角の向こう

カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD) 公共政策大学院の日々

Uberドライバー、移民労働者、それから日本

アメリカで生活していて面白いなと思うことの一つが、多国籍なUber(もしくはLyft)ドライバーとの会話からその国の事情を色々と学べることだ。車を持っていない私のような学生にとって重要な移動の足となるだけでなく、ウガンダ、イラク、イラン、ジャマイカなど普段あまり知り合うことのない人々の話を聞くことが出来る。今日も今いるカフェに来るまでのドライバーはイラン出身の50歳の男性で、昨年サンディエゴにやってきたが、アメリカの生活に順応するのに苦労していると落胆した声で話していた。

前の投稿で書いたDel Marに住むような白人の富裕層がいる一方で、アメリカにやって来たものの必死に自分の人生を切り開こうとしている人と話し、はっとさせられることが結構ある。前述のイラン出身のドライバーも、「10代でアメリカに来ていたらもっと上手くやれていたと思うんだけどね、でも50歳で新しい場所に来て、語学学校に通って、僕はエンジニアの修士号を取りたいんだけど合格できなかった。何もかもが難しく感じるよ。僕の妻はイランでは医師をやっていたんだ。でもここでは医師として働くことが出来ない」と話していた。「それでも妻と子ども達はイランには帰りたくはないんだ」とも。

こういう時に、私は日本人として生まれて、日本でも(上手くいけば)アメリカでも仕事が出来る環境にあることが、どれだけ恵まれているかを感じる。自分の住む場所を選べずに生きることの難しさ、自分以外の国の人が作ったルールの中で生き抜くことの大変さを私も少しは分かってはいるので。それでもUberドライバーの中には、移民として海を渡ってきて成功した人もいて、今は老後の楽しみとしてUberドライバーをしているんだよという人にも出会ったことがある。

もちろん、移民一括りにして、アメリカにおける移民の成功について話をするのは誤っている。アメリカに自分の所属するコミュニティがあった、アメリカで学位をとった、コネクションがあったなど、社会資本の有無は人それぞれで違うだろうと思うし、その時々の運にも左右される。それでも、何もない所から自力で這い上がって成功させれるアメリカ社会の懐の深さを感じることがあるのも事実で、移民とは違うけれど、私の日本人の友人は脊髄損傷によって車椅子の生活も送りながらも必死に勉強を続け、今年アメリカのメディカルスクールに合格した。私の友達が日本で医学部を目指していたら合格できていたかは分からない。

日本も外国人の労働ビザの緩和によって、外国人労働力を増やすと言っているけど、本当に外国人が何もない所からやってきて、日本で成功できるのかは正直疑問だ。外国人が日本で活躍することが、日本にとって良いことであるというビジョンをまずは持つことが重要ではないかと思う。その為にはどんな制度、サポートが必要か。まだまだ議論すべきことは沢山あるように思う。