曲がり角の向こう

カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD) 公共政策大学院の日々

サステナビリティの仕事をして半年

皆さま こんにちは。久しぶりの投稿です。

このブログを大学院卒業までで終わろうかとも思ったのですが、大学院の勉強や経験がどう今の仕事に役に立っているのか、いないのかということや、日本ではあまり認知度が高くないサステナビリティの仕事についても書くことはそれなりに意味があるのかなと思い、パソコンに向かっています。

現在は東京でサステナビリティを専門にしたコンサルティング会社で働いていて、主には人権に関するプロジェクトに関わっています。サステナビリティと聞くと気候変動や環境を思い浮かべる方が多いかと思いますが、環境だけでなく、人権や女性のエンパワーメントなどもサステナビリティ課題として含まれます。サステナブルジャパンのHPには分かりやすく体系的にサステナビリティの関連記事がアップされていますので、チェックすると良いと思います。https://sustainablejapan.jp/

それで、大学院の勉強で今の仕事に役に立っていること、いないことをいくつか挙げてみました。

1.英語

大学院の勉強ではないですが(笑)、私の会社はすべてのプロジェクトに海外スタッフが入るので、英語でのコミュニケーションは必須になるため、英語で会話出来て当たり前になります。特に、コンサルの最終成果物として正確な文章(英語、日本語両方)が求められるため、英語でのライティングは引き続きブラッシュアップしています。

2.リサーチ能力

シンクタンクなどに行かない限り、日本では大学を卒業してからリサーチ能力を高める機会というのはほとんどないと思うのですが、今の仕事では高いリサーチ能力が求められます。特に大学院で鍛えられたのは、短期間で質の高い文献や資料を探してくる力。海外オフィスから、クライアントへのリサーチ依頼が来たから2-3時間で調べて、みたいなものがたまに来たりします。最近調べたのは、欧米のアパレル企業からの依頼で、インドにおけるレザー生産のサステナビリティ課題について。

3.ネットワーキング

これも勉強ではないですが(笑)、アメリカでさんざん言われたネットワーキングを私の会社は社内でも継続してすることを推奨されています。特に東京のオフィスは小さいことから、自分の興味のある分野のディレクターと積極的に話をしたり、自分のプロジェクトに関連する分野での専門性を持つスタッフとスカイプをする、みたいなことは日常的にやっています。これも、アメリカでのネットワーキングの経験があったので割と躊躇することなくやれているのかなと思います。

4.高度な統計学のスキル

私の大学院は、1年目の冬学期でStataという統計ソフトを使った授業が必須で、宿題締め切り前は友達と泣く泣く深夜までStataと格闘したことを覚えています。ですが、今の仕事では一切使っていません。統計学と計量分析学の基本的な概念、実際に統計テストをするときの注意点(サンプルの数が十分であるか、サンプルを比較する場合に属性は類似しているか等)が分かっていれば十分ではないかと思います。

今日はこの辺で、次回はサステナビリティの仕事についてもう少し詳しく書きたいと思います。

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成人式の日の東京駅

 

大学院卒業、そして新たな仕事へ

みなさん、こんにちは。先月に無事に大学院を卒業し、先週からCSRを専門にしたコンサル企業の東京オフィスで働いています。

卒業式の数日前に最終ペーパーを提出し、最後の最後まで慌ただしい日々でしたが、世界中から集まった素晴らしいクラスメートと過ごした2年間は私の人生の財産だと思います。それからクォーター制で培った、10週間で新しい知識を身に着け、応用するというマインドセットも、今後生かされると信じたいと思います。(笑)

このブログは一旦これで終わりにしたいと思いますが、CSRを中心にしたブログに移行するかもしれません。またその時には、ここでお知らせしたいと思います。

それでは、皆さんが大学院留学を通じて、思考を深め、より豊かな人生を送られることを、心より応援しています。

 

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卒業旅行で行ったセドナ。ダイナミックな自然が本当に素晴らしかった。

 

日本、戦後補償、日韓関係

こんにちは。卒業まで残すところ1か月を切りました。そして今絶賛期末レポートに取り組んでいます。今学期の一つに「朝鮮半島の安全保障」という授業を取っています。教授は朝鮮問題に権威あるStephan Haggard教授。同時間に被った、Corporate Financeと一瞬迷いましたが、社会に出たら韓国、北朝鮮問題をじっくりと時間をかけて考えることはもうないだろうと思い、履修することに。

冷戦後の停戦条約から、光州事件、金大中の太陽政策、クリントンからブッシュへの政権移行でどう政策が移行したのかなどについて学んでいます。前半の授業を受けて感じたのが、日本は戦後アメリカの傘の元で、アメリカの輸出政策支援もあり、経済復興に集中できたけど、韓国は本当に混乱の歴史を歩んできたのだということ。現在揉めている1965年の日韓条約についても、そうした混乱の中での条約であったことは留意する必要があると思います。

そして先々週の授業は、少し打って変わって日韓歴史問題にフォーカスされた授業で、50人ほどいるクラスメートの内、日本人が私だけだったので、結構針のむしろ状態でしたが、韓国側の声を聞けるのは本当にありがたいと思います。総じて日本政府は信用できない、というのが圧倒的。謝罪はしているが、心から謝罪していたら、2015年の慰安婦共同宣言のような「最終的、不可逆的な」問題解決という言葉は使わない、という意見が出ました。そして知りませんでしたが、日韓の慰安婦共同宣言が出た後に、韓国の若い女学生の間で慰安婦像のミニチュアが販売されたとのこと。ちなみに私の友人は持っていて、今は韓国中に慰安婦像が建っているとのこと。

そして私は今、なぜ2015年の慰安婦共同宣言が履行されなかったのか?ということを書いています。なかなか難しいテーマを自分でも選んでしまったなと思いますが、韓国人の友達に韓国側の意見も聞きつつ形にしたいと思います。先ほどその友達から、慰安婦問題について良いビデオがあるからと教えてもらったので下記に載せます。私はとても素晴らしいビデオだと思いますが、見たくない人は見ないでください。

このビデオを見ながら思うのが、私たち日本人は、慰安婦という言葉を知識としては知っている。でも、慰安婦がどういう人たちで、どういうことがあり、彼らが戦後どのような境遇に置かれたのか?(地元から差別的な扱いを受け、結婚はおろか社会生活も難しかった)ということをほとんど知らないという事実です。

私はNGOで働き出したときに、「よし戦争について話をしよう。戦争の本質について話をしようじゃないか」という米映画監督のオリバーストーンの本を読んで以来、少なくとも私の中での日本の戦争観に、圧倒的に「加害者」としての視点が欠けていることに気が付きました。それは何故かと自分なりにも考えてみたのですが、日本の戦争観の複雑さに、加害者として戦争を初め(パールハーバーの爆撃、アジア諸国の侵略)、ヒロシマ、ナガサキの原爆があり被害者として終わったという点が大きいと思います。一方でドイツは戦争を初めから終わりまで一貫して加害者として関わっている。だから日本人が戦争と聞くと、ヒロシマ、ナガサキの原爆がまず真っ先に浮かび上がってきて、日韓併合とか日中戦争などのワードが浮かび上がってくるのは少数ではないかと想像します。でもアジアの人々から見た時に、日本はれっきとした加害者なのであり、やはり被害者と加害者の、決して共有できないものがあるということを改めて認識する必要があるのだと思います。でも、だからこそ被害者の声を聞く努力をすることで、少しづつ信頼が生まれてくるのではないかと思います。簡単なことに聞こえますが、まだまだ長い道のりのように思います。

慰安婦問題のビデオ

https://www.youtube.com/watch?v=0CmWdrlv3fI

ナムルの家(慰安婦の人々が暮らす施設)

http://www.nanum.org/jap/main/index.php

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アメリカ公共政策大学院留学のすすめ

こんにちは。今週もペーパーに取り組む土曜日の夜です。さて、早いもので大学院卒業まで残り約一ヶ月となりました。卒業までに、20ページの論文を3本プラス5ページのペーパーを2本作成となかなか最後までヘビーなのだけど、まぁ今までもギリギリの精神状態の中で乗り切ってきたので、何とか走り切りたいと思います。そして、今更ですが、公共政策大学院に行ってよかったなと思うことを少し書きたいと思います。

・政策分析をする思考力が付く

なぜうまくいく政策と行かない政策があるのか? なぜ政策決定者は、そのように意思決定をしたのか? 彼らが意思決定をするモチベーション、インセンティブは何なのか?そのオプションを選ぶことによるベネフィットとコストは何なのか?等を理論を使って徹底的に考えさせられます。

私が西海岸のスクールビジットで、UCバークレーの教授に会った時に、公共政策大学院は物事の考え方を深めるための場所だよと言われ、今ではその意味がよく分かります。

これは別に政策の話だけではなく、開発分野で新たにプロジェクトを検討する時にも応用できると思います。こうした思考のフレームワークを磨くことは、物事を客観的に分析するために非常に重要で、日本では学べなかったスキルだと思います。

・非常に学際的である

大学院にもよりますが、私の大学院では、政治経済、環境政策、開発の分野に加えて脳科学者がマーケティングの授業を行ったり、調査手法の授業も行ったりと非常に多彩です。こうした様々な異なる分野の人が意見を言って、政策課題を議論するのは非常に刺激的です。そして大学院の教授陣は、どこにそんな時間があるのか?と思うけれど、授業と並行して世銀のプロジェクトに関わっていたり、有力紙に論文を発表したり億単位の研究費を勝ち取ったりと、本当にパワフルです。

今は勉強で大変だなぁと思っていますが、こうした刺激的な環境に2年間身を置けたことは非常にありがたいのだと今改めて思います。残り1ヶ月走り切れますように。

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大学から歩いて20分ほどの海岸。晴れるとパラグライダーもよく飛んでいます。



ネットワーキングとは何か?

アメリカのキャリアセミナーに参加するとほぼ必ず聞く、ネットワーキングという言葉。もしアメリカで仕事を見つけたいと思うなら、ネットワーキングは非常に重要です。では、ネットワーキングとは何か?一言で言うなれば、人脈を構築すること、平たく言えばコネづくりですね。

アメリカでの就職は日本のように、仕事の募集が公開されて、それに応募して、数度の面接を経て内定といったパターンもありますが、採用側が公募ではなく、募集ポジションに合いそうな人材(大学院の後輩など)に募集を送り、その中から採用を決めてしまうパターンもあります。

なので、普段から自分の興味のある分野で働いている卒業生や、知り合いといかに良い関係を構築しておくかが鍵になります。では、どうやって卒業生と知り合いになれるか?例えば、卒業生が集まるイベントに参加したり、企業訪問の参加者をまとめるリーダーをしたり、キャリアサービスから卒業生を紹介してもらったりなどが挙げられます。

私も今度働くCSRの組織では、卒業生が働いているのをキャリアサービス経由で知り、個人的に紹介してもらってスカイプをしたり、CSRの専門家が大学でセミナーを開いていたので参加して名刺を交換したりしました。そこまで強い関係は構築出来ませんでしたが、面接中にどうやってこの組織を知りましたか?と必ず聞かれるので、その時に具体的な人の名前を出せたことは良かったのかなと思います。

私の大学院は、キャリアコンサルタントが必ず学生一人に対して付いてくれるので、ネットワーキングの仕方や卒業生の紹介、面接の準備の仕方や模擬面接など、本当にありとあらゆることを教えてもらいました。私がキャリアシフトを出来たのも、良いキャリアコンサルタントに出会えたからと言っても過言ではないでしょう。

アメリカでの就職を目指す方は、ネットワーキングを常に念頭に置いて過ごされることをお勧めします。

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先週末いった家から車で15分ほどの所にあるTorrey Pines

 

Difinition of happiness

先々週の春休み一週間を利用して、NY、DCにあるNGOやシンクタンク、世界銀行を回って来ましたが、私の中ではDCで10年ぶりにオランダ人の友達と再会した出来事が最も心に残る出来事でした。

彼と出会ったのは約10年前のフィリピンのダバオで、一緒にインターンを2か月間したのだけど、その当時は私の英語ができなさ過ぎて、最初の数週間は彼と話すのを躊躇っていたのを覚えています。でも、自分よりも若いのにいつもオープンマインドで誰にでも隔たりなく接し、少しでもワークショップを良いものにしようとする姿勢に心を打たれ徐々に話をするようになったことを覚えています。

今は20代ながらも大手コンサル企業のマネージャーとして週の半分以上をNYで過ごし週末だけDCで過ごすという生活をしているとのこと。そんな彼と10年ぶりの再会をし、なんか変な感じだねーと言いながらも、お互いの近況状況や10年前のお互いについての印象や、心に残ったエピソードを語り合い、本当に心温まる時間でした。

特に印象に残っているのが、2度のカルチャーショックの話。最初のカルチャーショックはフィリピンに行ってから、なんでフィリピン人ははっきりと自分の意見を言ってくれないのか困惑したとのこと。欧米でははっきりと、これが良いと言ってくれるのに、フィリピンではどれも良いと言われる。だから、なかなか前に進まなくてフラストレーションが溜まった。でもフィリピンは本当に楽しかったし、本当に皆よくしてくれたから居心地が良くって、アムステルダムの空港に着いて電車に乗った時に、みなすごく忙しく生きていて、他人に配慮せずに肘で押したりする様子を見て、自分の国がすごく嫌になって見えた。これが2度目のカルチャーショックだった、とのこと。私も似たような経験をしているので、すごく同感しました。

特に開発の仕事をして、開発途上国の人々と接すると、幸せになるとはとてもシンプルなことであると教えられます。家族がいて、家族が元気で健康であって、そしてお祈りをする時間がある、それ以上何を望むんだ?という風に。だからたまに一時帰国して日本に帰って友人や家族に会うと、本当に悩みや不満が多くて、なんでこんなに不幸にみんな生きているんだろうと思わざるを得ませんでした。

そして、私が初めて開発の仕事を目指した場所で出会った同志と再会して、お互い違う場所で違う生き方をしているけれど、私たちの人生にとって大切なことは変わらないし、そしてその原点がフィリピンであった、ということが分かったことが何よりも嬉しかったのでした。

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フィリピンの子どもたち

 

大学院留学の資金をどう工面するか?

みなさんこんにちは。今日から最後の学期が始まり、楽しみにしていたHuman Rightsのクラスが週に150ページのリーディングに加えて、かなりディスカッション中心の授業であると分かり、最後の最後まで苦労するのだなぁと少し低いテンションで春学期1日目を迎えました。大学院にもよりますが、私の大学院ではGPAが1年目を終えた時点で4.0中3.0を下回っていたら強制的に退学となります。このため、1年目は特にかなりのプレッシャー下で過ごさざるを得ませんでした。2年目は慣れてきたのもあり、前学期は5クラス中、4つのクラスでA(GPA 3.7-4)を取ることが出来たのでそれなりにやっていれば成績は付いてくるのだと思います。

さて、先日数人の方から留学のファイナンスをどう工面するか相談があったのでいくつか私が思いつく方法をここに書きたいと思います。まず、大学院の場所や公立か私立かにも寄りますが、公共政策の大学院で2年間過ごす場合、授業料、滞在費を含め最低でも1000万円はかかると思っていた方が良いでしょう。留学生ビザ(F1ビザ)の取得にあたっては、1年間分の財政証明書が必要になります。(私の大学院の場合は58,000ドル/年ほどでした)特に東海岸(NY、DC、ボストン)とサンフランシスコは住居費が高く、一人部屋でも月1500ドル(約17万円)ほどすると聞きます。ちなみに私の住んでいる寮は月800ドル。そんな中でどうやって費用を工面するのか、いくつか方法を紹介したいと思います。

1.とにかく奨学金に応募する

私は世界銀行の奨学金に加えて、Toshizo Watanabe奨学金と入学前には本庄国際奨学金にも応募しました。結局受かったのは世界銀行の奨学金だけでしたが、準備に時間がかかることや推薦書のお願いなども考慮すると計画的に作業されることをおすすめします。

2.良いプログラムを提供しつつも低い授業料の大学院を選ぶ

私はアメリカの大学院以外にオランダのISSという大学院も受験し合格しました。ここは授業料も年200万円ほどだったと記憶していますが、開発分野での友人や国連職員の方も多数卒業されています。アメリカでも、少し地方の州立大学院を選べば授業料は安く抑えられると思います。その分、ネットワーキングがしにくいというデメリットもあります。

3.大学院でTAやRAをする

私のネイティブの友人やアメリカ滞在歴の長い友人たちは大体みな2年目からTAまたはRAをして授業料の一部を免除してもらっています。日本人では、日本語のTAをする先輩が結構いました。また、私の大学院ではUS-Mexicoセンターというアメリカとメキシコの政治経済を研究する機関があるのですが、そこに多数のメキシコ人留学生がRAとして働いているので、大学院に日本研究の研究機関があればRAとして働きやすいかもしれません。といっても最近は中国の地域研究がほとんどで日本研究に力をいれているのはコロンビア大学とカリフォルニア大学くらいかもしれませんが。

思いついたのはこれくらいですが、少しでも多くの日本人の方が大学院留学にチャレンジし、視野を広げ考えを深める経験を積んでいただければこの上なく嬉しいです。また東海岸のトリップについては別途書きたいと思います。

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車で15分ほどのところにあるLa Jolla Coves