曲がり角の向こう

カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD) 公共政策大学院の日々

Difinition of happiness

先々週の春休み一週間を利用して、NY、DCにあるNGOやシンクタンク、世界銀行を回って来ましたが、私の中ではDCで10年ぶりにオランダ人の友達と再会した出来事が最も心に残る出来事でした。

彼と出会ったのは約10年前のフィリピンのダバオで、一緒にインターンを2か月間したのだけど、その当時は私の英語ができなさ過ぎて、最初の数週間は彼と話すのを躊躇っていたのを覚えています。でも、自分よりも若いのにいつもオープンマインドで誰にでも隔たりなく接し、少しでもワークショップを良いものにしようとする姿勢に心を打たれ徐々に話をするようになったことを覚えています。

今は20代ながらも大手コンサル企業のマネージャーとして週の半分以上をNYで過ごし週末だけDCで過ごすという生活をしているとのこと。そんな彼と10年ぶりの再会をし、なんか変な感じだねーと言いながらも、お互いの近況状況や10年前のお互いについての印象や、心に残ったエピソードを語り合い、本当に心温まる時間でした。

特に印象に残っているのが、2度のカルチャーショックの話。最初のカルチャーショックはフィリピンに行ってから、なんでフィリピン人ははっきりと自分の意見を言ってくれないのか困惑したとのこと。欧米でははっきりと、これが良いと言ってくれるのに、フィリピンではどれも良いと言われる。だから、なかなか前に進まなくてフラストレーションが溜まった。でもフィリピンは本当に楽しかったし、本当に皆よくしてくれたから居心地が良くって、アムステルダムの空港に着いて電車に乗った時に、みなすごく忙しく生きていて、他人に配慮せずに肘で押したりする様子を見て、自分の国がすごく嫌になって見えた。これが2度目のカルチャーショックだった、とのこと。私も似たような経験をしているので、すごく同感しました。

特に開発の仕事をして、開発途上国の人々と接すると、幸せになるとはとてもシンプルなことであると教えられます。家族がいて、家族が元気で健康であって、そしてお祈りをする時間がある、それ以上何を望むんだ?という風に。だからたまに一時帰国して日本に帰って友人や家族に会うと、本当に悩みや不満が多くて、なんでこんなに不幸にみんな生きているんだろうと思わざるを得ませんでした。

そして、私が初めて開発の仕事を目指した場所で出会った同志と再会して、お互い違う場所で違う生き方をしているけれど、私たちの人生にとって大切なことは変わらないし、そしてその原点がフィリピンであった、ということが分かったことが何よりも嬉しかったのでした。

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フィリピンの子どもたち